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'R' exception - キオクトキロク -
back何やら先ほどから屋敷の中が騒がしく、集中力を殺がれてしまった私は、筆を止め、立ち上がった。
「何かあったのでしょうか……?」
そう一人呟きながら振り返り、背後の襖を開け、顔を出して覗いたその先には、幾人かの女中の方々が忙しそうに廊下を行き来しているのだった。
その様子が気になった私は、
「あの」
と、軽い気持ちで視線の先にいた一人の女中の方に呼び掛けてみた。
ちょっとした喧騒の最中ではあったが、その方はすぐに私に気がつき、慌てた足取りでこちらに向かって駆け寄ってきた。
そうして、私の目の前まで来たその方は、
「ああ、阿求様。申し訳ありません。煩かったでしょうか?」
困ったようにそう言い、頭を下げたのだった。
そんな彼女の丁寧な態度に、
「い、いえっ。そのようなつもりではないのですよ」
私の方も、意図しない形で相手を謝罪させてしまったことに困惑して、
「そ、それで、何かあったのですか?」
気まずい雰囲気を変えようと、矢継ぎ早にもう一度問いを返した。
私の言葉に応じて顔を上げた彼女は、視線を廊下の外側、庭園の上空へと向ける。
その動きに釣られて空を見上げた私は、
「あれ? 先ほどまで……」
「ええ……良いお天気でしたのに」
いつの間にか、雨が降り出していることに気がついた。
「急に降り始めたもので……。今大慌てで洗濯物を取り込んでいるところなのです」
陰鬱な表情を浮かべて溜息を零した彼女の言に、
「そうだったのですか……。何かお忙しいところを呼び止めて、すみませんでした」
結果的に彼女の仕事を邪魔してしまったことを申し訳なく思った私が、それを謝ろうとすると、
「ああ! そんな、阿求様が謝られるようなことではありません。どうかお顔を上げてください」
今度は逆に、彼女の方が困惑したように声をあげて、私の動作を諌めたのだった。
彼女の言葉に顔を起した私は、
「……ふふっ。何だか可笑しいですね」
そんな風に微妙にすれ違う自分達の様子の滑稽さに、思わず苦笑してしまった。
私の笑みに、彼女もようやく緊張が解れたのか、
「……確かに。おっしゃるとおりですね」
頷きを返して安堵の表情を見せてくれた。
そうして、
「それでは、私はお仕事に───」
私に会釈をして、彼女が振り返りかけた丁度その時、
「すまない! どなたかいらっしゃらないか!?」
少し遠くの玄関の方から声が掛けられたのだった。
「今の声は───」
その声に聞き覚えのあった私は、
「お客様のようですね。出て参ります」
呼び掛けにすぐさま反応し、玄関の方へ向かおうとした彼女を、
「いえ。私が出迎えますので、貴方はお茶の用意をお願いします。それから一応、身体を拭けるものも」
そう言って呼び戻した。
彼女は少しだけ判断に迷っていたが、ほどなくして、
「では……。申し訳ありませんが、そのようにお願いします」
私に一礼を返して、厨房の方へと向かっていった。
彼女の姿を目で見送った私は、
「───さて。私はお出迎えをしましょう」
雨が呼んだ不意の来客に少し心を躍らせながら、玄関へと出向いていったのだった。