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貴方がいないと、私は何もできない

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 ───六月のある日。

 窓の外に煙る地雨を眺めながら、私は頬杖をついた。
「あら。どうしたの?」
 浅く溜息を零した私に、対面に座った金髪の少女は小首を傾げて不思議そうな瞳を向けてきた。
「どうもこうもないわ。来る日も来る日も雨ばっかり。
こんな天気じゃサークル活動は勿論、外出する気だって無くなっちゃうわよ」
「まあまあ。梅雨なんだから仕方ないじゃない」
 私の悪態をやんわりと諌めた彼女は、しかし、
「でも……」
 考え直すような仕草で唇に手を当てて、それから、
「?」
「何もしないのは───やっぱりちょっと退屈ね」
 少しだけ照れ臭そうに微笑んで、私の言に同意した。
 いじらしいその様子に、陰鬱が多少紛れた私は、
「ねえ、メリー。夏休み何しよっか?」
 軽やかに彼女の名前を呼んで問い掛けた。
「今から予定立てるの? 気が早いわねぇ」
 そんな質問にきょとんと目を丸くした相棒に、私は、
「何もしないよりは建設的よ。それに───」
 色々考えるのも楽しいじゃない? と、身を乗り出しながら笑い掛けた。


 ───七月のある日。

 容赦なく照り付ける日射しから逃れるように、私は校舎へと入った。
 額に滲んだ汗を右手で拭いながら外気より幾分かマシな温度の廊下を歩み、
 やがて視線の先に、久々に訪れる研究室のドアを見定めた。
「こんにちはーっと」
 挨拶をしながら入室すると、そこには、
『おっ。宇佐見』
『久しぶりー』
 私への返事もそこそこに、大量の参考書に埋もれて各々ペンを走らせる学友達の姿があった。
 試験前の最後の追い込みに皆集中しているようで、
 同じ目的でここに来た私も特に会話を続けることもなく、鞄を置いて参考書を漁り始めた。
『……で、もう準備は?』
『まずまずだなぁ』
 暫くして、勉強に身が入らなくなったのか、机の向かい側に座る学友達が何か話を始めていた。
丁度集中力が切れてきていた私は、
「何の話?」
彼らの会話に混ざろうと声を掛けた。
私の呼び掛けにこちらを向いた学友達は、
『え? ああ───』
『アレだよ、アレ』
 何故だか浮かない顔を見せながら、自分達の背後を指差した。
 私はそんな歯切れの悪い行動に首を捻りつつ、
 彼らの示した物を覗き見ようと、身体を少し傾けて───、
「一体何……あっ」
 目に飛び込んできた、一枚のポスターの内容に……凍りついた。
『俺、海外とか初めてなんだけど……』
『俺もだよ。数日なら観光気分だけど、流石に一ヶ月は長いよなぁ』
『八月が丸々潰れるってのが痛いよ。試験明けたらすぐ向こうだし……』
 学友達の嘆息が続けられる中、私はただ呆然とポスターを見つめ続けていた。



───そして、八月の最初の日。



「もういい!」
 黄昏に包まれてオレンジ色に染まる世界の中で、私は相棒の怒声を聴いた。
「あっ! ちょ、ちょっと!」
 ダンッとテーブルに手を打って勢いよく席を立ったメリーは、
「メリー!」
「───知らない!」
 私の制止を叫び声で阻んで、ずかずかとテラスの外へ歩いていってしまった。
その背中に追い縋るように、
「ねえ! メリーってば……」
立ち上がって片手を伸ばした私は、
「……」
 こちらを振り返ろうともしないメリーの態度に尻込みして、上げた片手を静かに下ろした。
 突然起こった一騒動に奇異の目を向けていた周りの客達は、力無く椅子に座り直した私の姿に
 事態の終結を見取ったのか、やがて彼らの日常に戻っていった。
 一人席に取り残された私は、
「何よ……。幾らなんでも、あんなに怒ることないじゃない……」
 初めてみた彼女の真剣な怒りに、戸惑いを隠せずに呟いた。
「私だって……残念なのにさ」
 つい零れてしまう愚痴は、自分でも自覚できるくらいに拗ねた口調だったが、
「……メリーのあほー」
 私はそんな理不尽への不満を抑えきれずに、テーブルにもたれて顔を伏せたのだった。