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鼠はもっとかまって欲しい

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「星? 今は居ないよ。さっき出かけていった」
「そうか。入れ違いになってしまったな」
 命蓮寺を訪れた私は、出会い頭に鉢合ったムラサ船長に、自分の目的の人物の所在を問う。
返って来た答えは望むものではなく、
「どうしたの? 何か用事だった?」
「いや……」
 知らない内に伏せてしまっていた顔を、船長に覗き込まれているのに気が付いて、
「何、大した用じゃないよ」
 彼女のきょとんとした表情に手を振って応えた。
「?」
 なおも不思議そうに首を傾げる船長。
 私は愛想笑いを返しつつ、彼女の塞がった両手に視線を移す。
「船長。それは?」
「ああ、これわね」
 船長は両手の荷物をわずかに掲げ上げて、
「今度寺で聖が説法会を開くの。その支度を色々とね」
 少し困ったような、疲れたような、けれど充足に満ちた笑顔を浮かべた。
「なるほど。それで何やら慌しいのだね?」
 私はその言葉に、辺りを見渡しながら相槌を打つ。
 視線の先、寺の庭では見知った顔も、見慣れない顔も、様々な妖怪たちが世話しなく働いていて、
「ふむ」
 私が今日寺を訪れた目的の人物も、おそらくその関係で外出したのだろう、とそこまでを推察する。
 それから、
「そういうことなら仕方ない。船長。呼び止めて悪かったね」
 私は船長に声を掛けて、門の方へ踵を返した。
 待たないのか、という彼女の気遣いに、出なおすよ、と短く返事して、そうして私は飛び上がる。
「……」
 何気なくポケットに納めた手。
 指先に触れた小包の感触は、あの人に届ける筈だったもの。
 私はふと、今日の目的を思い返し、
『別に手渡す必要は無い。預けておけば良いだろう』
 という、つくづく合理的で今更なアイディアを閃く。
 だが、しかし。
「───忙しそうな船長たちに余計な仕事を押し付けるのは、良くない」
 誰を諭す風でもなく、一人そう否定して。
「……」
 疎ましく思ってしまう位に、底抜けに快晴な空を駆け抜けていった。

 明くる日、再び命蓮寺を訪れた私を出迎えたのは、些か騒がしさが増した寺の喧騒と、
「あら。どうしたのよ。星なら居ないわよ?」
 少しばかりの汗を額に滲ませて立つ一輪の姿だった。
 それまで庭で作業する妖怪たちに何かしら指示を送っていた彼女は、不意に現れた来訪者の私に、
 手拭で汗をふきながら歩み寄ってきた。
「一輪。頬にも」
「え? ああ、やだ」
 私は彼女の問い掛けに答える変わりに、手を伸ばしてその頬に付いた煤を払ってやる。
 ありがとう、という感謝の言葉に、どういたしまして、と定型文を返せば、
「貴方はこういうところ、よく気が付くわね」
 と、一輪は微笑んだ。
「そうかい? ……まあ、誰かさん(・・・・)のお陰で目敏くなったのかもね」
 私がその台詞に、気軽におどけて返せば、
「そうか。なるほどそうねぇ」
 一転、彼女は苦笑して目尻を下げる。
「で? 貴方はそんな誰かさんに何用? 昨日も訪ねてくれたみたいだけど」
 再び問うてくる彼女に、
「いや。届け物があるだけなんだが……」
 私は今日もポケットに収まっている小包を撫でながら答える。
「あら。それだけの用事でわざわざ───」
 私の回答に目を丸くした彼女は、そう感想を漏らしかけて、
「あっ」
「?」
 何を思い付いたのか、ぽんっと軽く手を叩いた。
「一輪?」
 思わず怪訝に見上げる私に、ねえ、と彼女は呼び掛け、
「私が代わりに渡しておいてあげるわ。あの人、今日もいつ帰ってくるか分からないから」
 そんな提案を伝えてきたのだった。
 さあ、と優しげな笑顔で手を差し向けてくる一輪。
 恐らく彼女は善意でそう言ってくれているのだろう。
 しかし、私はどうしてか、
「───」
 その善意に甘えようとは思わない……いや、思えなかった。
 賢いと言えない自らの思案に、
『忙しい彼女に遠慮している? 他人の手を煩わせるような用でもない?』
 自問自答しても答えは出ず、結局、
「……遠慮するよ」
 提案を辞退して、小さく首を横に振った。
 せっかくの誘いを要領を得ぬままに断ってしまった申し訳なさに、少しばかり気が滅入るが、
「あらそう」
 対する一輪はさして気にした風でもなく、端的にそう応えて頷き返してきた。
 何となく二の句を継げなくなった空気。
「おーい雲居さーん!」
「あ、呼ばれてるわ」
 それを破ってくれたのは遠方で作業に勤しんでいた他の妖怪たちだった。
「作業を止めてしまってすまなかった、一輪。私は帰るよ」
 この良い機に、私は一輪に呼び掛けて、彼女をそちらに向かわせるように促す。
「はいはい今行くわー。あっ、星なら山の方に出掛けたわよ」
 妖怪たちに返事した一輪は、続いて律儀に私に向き直り、お目当ての人物の行き先を私に教えてくれた。
「そうか。ありがとう」
 礼を言って空へ。
 手を振る一輪に軽く返して、私は片手で日光を遮りながら首を上に向ける。
 昨日と変わらず青々とした空は、雲一つ携えずに輝きを放っている。
 遠く見渡す事ができる視界には、彼の人が向かったという妖怪の山も鮮明に見えている。
「……」
 けれど、私は。
 そこを目指すことなく、家路に着いた。
 初夏の日差しに、何かが(・・・)ちりちりと焦がされているように感じた。

 次の日は、命蓮寺には行かなかった。子鼠たちの世話に追われていて、気が付けば夕方になっていた。
 勿論、今から出歩く事は可能だが、取り急ぎの用事ではないと下して、本日は寺に出向しないことを決めた。
「───どうせ今日も外出中だろうさ」
 降って湧いたそんな勝手な想像を口にすれば、私の理性的な一面がそれを否定して、
 脳内で結論の出ない不毛な会議が始まる。
「……」
 ぐるぐると渦巻く思考を鬱陶しく思い、私は床にぽすりと身体を投げ出した。
 窓から差す夕日は幾許かその熱を和らげて、床の冷たさと交わって丁度良い感じだ。
 目を瞑り、暫くその温度を味わう。
 ふと指に触る感触。
 我知らずポケットを探っていた手は、そのまま中にあるものを取り出して掲げられた。
 無造作に小包を解き、それを(・・・)手にする。
 夕日を遮って、それは私の顔に一つの影を作る。
 角度を変えながら、品定めするようにそれを眺めていた私は、
「……全く。大事なものなんじゃないのかい、なあご主人様?」
 ここには居ない、この花飾りの持ち主がよく見せる困った顔を思い浮かべながら皮肉を零した。
 再び目を閉じれば、すぐにゆらゆらとしたまどろみが歩み寄ってきて、
 私はそれに抗うことなく、自然に深い闇へと落ちていった。

 霞掛かった視界の向こうに、私とあの人の姿が現れる。
「ごめんなさい! ナズーリン、実は───」
「またかいご主人様。全く君は───」
 私にとって幾度となく繰り広げられてきた光景。
 第三者の視点から見るそれは、虎が鼠に腰を低くして頭を下げているという、実に滑稽な様子だ。
 夢の中、最早それが本当にあった出来事だったのか、あるいは創作されたものなのか、
 判断しきれない位に重ねられた遣り取りは、しかし陳腐とも色褪せたとも思わせない程に、彩り豊かに映えている。
「それで、今度は何を無くしたんだい?」
「はい。実は頭の花飾りを……」
 ころころと変わる虎の表情。
 憮然とした態度を崩さない鼠の立ち振る舞い。
 会話の内容はほとんど変わらず、しかし、そのどれを切り抜いても微妙に違う二匹の絵面は、
 可笑しさを通り越して、何だか微笑ましささえ感じさせる。
 お約束というか、毎度の事というか。
 そんな何時までも続く情景に、当人たる私はやれやれ、と嘆息するも、
 意識が覚醒するまでの間ずっと、飽きることなくその掛け合いを眺めていた。

「……身体が痛い」
 早朝、朝日ではなく鳥の声に起こされた私は、どんよりした空模様に自分の心境を照らし合わせて、
 辟易とした唸り声をあげる。
 不用意にも一晩を床で過ごしてしまった身体はあちこち痛くて、
 何か見ていたような気がする夢の内容を霧散させる程度に気分を害してくれている。
 一瞬寝なおそうかとも考えたが、視線の端に掠めた花飾りを省みて、
「この時分なら、まだご主人様も寺に居るだろうか」
 そう結論付けた独り言に頷き、さっさと外出の支度を始めた。
「よし」
 ぱん、と頬を叩いて気を入れ直して、灰色の空へと蹴り出す。
 昨日までとは打って変わって、今にも泣き出しそうな天気に、
「全く。すっきりしない」
 つい愚痴を漏らして、恨めしい視線を向けてしまい、
「と、駄目だ駄目だ。私らしくもない」
 頭を振って、後ろ暗い気持ちを否定して奮い立たせるのだった。