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里美町の風景 2

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 夕刻の空を黄昏色に染める斜陽。柔らかいなその光は緑茂る山々を照らして大きな影を地に描き出す。
 山間の盆地に開かれたこの町───里美町(さとみちょう)は、そんな美しい陰陽のコントラストに彩られたまま、穏やかな夕暮れ時を迎えていた。
 草花香るふんわりとした風がそよぐ中、町外れの坂道には細長く伸びた影が三つ、地面に映えて揺れていた。
 坂道を登る方向にテンポよく進んでいたそれらは、しかしそのうちに、
「……あー……疲れてきた……」
 そんな気だるげな言葉を発して一つの影が動かなくなってしまったのをきっかけにして、残りの二つもその歩みを止める。
 二、三歩先に進んでいた二つの影のうちの一つが反転して振り返り、
「ったく。だらしない」
 呆れたような、そして少し怒ったような声をあげて鼻を鳴らした。
 その嘆息に、
「あはは……」
 もう一つの影が思わず苦笑を零して、それから、
「もう少しで着きますから。───ほら、向こうに門が見えてきてますよ」
 影は道行く先に姿を覗かせていた、木製の塀を指し示してみせた。
 一つ後方にあった影はその言葉を耳にすると、伏せてしまっていた顔を上げて、
「おお!? なんだもうすぐじゃん!!」
 指差された先に目的地を捉えたらしく、現金にもすぐさま調子を取り戻して二つの影を追い越して走り出した。
「よっしゃ! すぐ行こうぜ!!」
「あっ! ちょっとッ!?」
 慌ててそれに追い縋るように叫び出された喚声に、
「───ふふっ」
 先ほどと同じように苦笑した影は、
「待ってください、都子(みやこ)さん。徹(とおる)さん」
 前を行く二つの影に追いつこうと、再び歩き始める。
 そうして、最初の一歩を踏み出した瞬間、
「……ん」
 裾野を吹き抜けた一陣の風が影の輪郭を大きく揺らしてみせる。
爽やかな山風の中、
「絵美莉(えみり)ちゃん! 早く早く!」
「あっ。はい!」
しなやかな長髪が心地良さそうに泳いでいた。
1.

 里美高校一年、風間(かざま)絵美莉(えみり)は、普段は何気なく通り抜けている校門の前で立ち止まる。
「これが私の母校、町立里美高校です」
 校舎へ手を差し伸ばしてそう案内してみせた彼女の隣では、
「うおっ! 木造校舎じゃん!」
「へー。なんか雰囲気あるわね」
 今朝知り合ったばかりの旅行客である杉山(すぎやま)徹(とおる)と羽居(はねい)都子(みやこ)の二人が物珍しげな視線を奥の建物へ向けていた。
「はい。教室の中とか廊下とかも全部木が使われて」
 結構評判良いんですよ、と絵美莉は二人の感嘆の台詞に合わせて微笑む。
「直接見て貰えないのは残念ですけど、写真なら家にありますから、後でお見せしますね」
「おっ、マジで? 楽しみにしとこー」
組んだ腕を頭の後ろに回しながら楽しげな様子で言う徹。
 そんな彼の陽気に、さらに笑みを零した絵美莉に、
「もしかして、それも絵美莉ちゃんが撮ったの?」
 都子が問う。
 絵美莉はそれに、
「はい。───一応、写真部なので」
 何処か照れ臭そうに頬を掻きながら答える。
「へぇ。こんな可愛い子と一緒に部活出来るなんて羨ましすぎるな全く」
 絵美莉の返事に作ったような妬み顔で唸ってみせる、そんな徹の芝居がかった態度に対して、
「あ、でも部員は私だけですよ?」
 その出鼻を挫くかのように、絵美莉は真顔でそんな注釈を足し付けた。
 思わずコケそうになり、えぇー、と誰に向けているのか分からない不満を上げた徹に絵美莉は笑い掛けて、その事情を説明する。
「去年の写真部の部員方が丁度その時の三年生しか居なかったみたいで皆さん卒業しちゃってて」
「タイミングが悪かったって訳ね。でもそれって廃部とかにはならないの?」
 都子からさらに投げられた質問に、
「私も部員が一人じゃ駄目かなって思ってたんですけど、ちゃんと部として活動の実績作るなら良いよって言ってくれてて」
 絵美莉は詳細を返して言う。
「校内の写真を撮っているのもその一環なんです。新聞部に素材の提供をしたり、学校の広報誌用の写真を撮影したり───楽しくやらせて貰ってます」
「じゃあ家に置いてある写真って言うのも」
「はい。部活動の一環で撮ったものです」
 充実した笑顔と共に得られた回答に、都子はなるほどと納得して頷く。
「なら、絵美莉ちゃんが部長な訳か。ホント絵美莉ちゃんは色々頑張ってて偉いねぇ」
「いえ。好きでやってることですから」
 感心を漏らす徹に、絵美莉は頭を振って謙遜する。
 そんな慎ましい絵美莉の態度に、
「いやいや、ホント絵美莉ちゃんはしっかりしてて───」
 なおも感激を口にし続ける徹。
 しかしその言葉は、
「風間さーん」
 不意に遠くから掛けられた誰かの声によって遮られてしまうのだった。
 校舎の方から聞こえてきたその声に三人が振り向いてみると、自転車に乗った集団がこちらに近づいてきていた。
 その呼び掛けに応じた絵美莉が、
「すみません。ちょっと行ってきます」
 二人に断りを入れて集団に駆け寄る。
 二、三会話を交わして戻ってきた絵美莉と、
「さようなら」
 軽い会釈をして校門を抜けていく生徒たち。
「さっき話してた新聞部の人たちです。部活の帰りだって」
 小さくなっていく集団の背中を目で追いながら言った絵美莉に、
「んじゃ、俺たちもそろそろ帰る?」
「そうね。とりあえず町の方に戻りましょう」
 徹と都子がそんな提案を投げる。
「はい。そうしましょう」
 同調した絵美莉は、一度夕暮れに浮かぶ校舎を振り返って、そして町へと続く坂道を下り始めた。