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恋の行方は台風みたく

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「───はぁー。どうしたモンかな……」
 少年、衛宮士郎はしかめっ面を片手で押さえながら一人自室で唸り声をあげていた。うっすら開いた視線は指の間を抜けて、その先にある一枚の紙切れに注がれているようだ。華やかなカラーリングでプリントされている字面を目で追って、
「○○ランドペアチケット、ねぇ……」
 それをアンニュイに読み上げて、また一つ溜息。
 バイト先でたまたま貰った遊園地のチケット。二人一組での使用が前提───つまりありていに言えばカップル用の代物であるそれは、
「……はぁ」
 純朴で実直、されども健全な青少年でもある彼の頭を悩ませる、まさに悪魔のチケットと言えた。
 最も、その彼の懸念は彼自身の性質から来るもので───。

『好きな女の子と二人きりで過ごしたい。
かといって他の家人(たいせつなひとたち)を蔑ろにしてもよいのだろうか?』
 
 などと言う、優しさと優柔不断が絡み合った苦悩で、答えの見えない堂々巡りを帰宅してからずっと続けている。
「やっぱり皆で行った方が良いよなぁ……。でも、セイバーと二人っきりで───」
 いつの間にか、我知らず漏れていた思い人の名前。
まるで波間に浮かんだ水泡のように、溶けて消え入りそうな微かなその呟きは、しかして───、
「シロウ、どうしました?」
「おわッ!! セ、セイバー!?」
当人の突然の登場によって再度沸き立ったのであった。
「ど、どうしたんだセイバー? 何か用か?」
 不意を食らった士郎は焦りを隠せないままに、彼女にそう問い返す。
 反対に、何故か驚かれてしまったセイバーは、きょとんと首を傾げつつ、
「いえ、お風呂が空きましたので知らせに来たのですが。士郎の方こそどうしましたか? 何やら私の名を呼んでいたようですが」
 そう言って士郎の方を覗き込む。
「い、いや何でも───」
 何かもどかしくて、慌てて答え返そうとする士郎だが、
「おや、それは───?」
 それより一瞬早くチケットの存在に気付いたセイバーが彼の言葉を遮った。
失礼、と手を伸ばしてそれをひょいと摘み上げた彼女は、
「これは……遊園地のチケット、ですか?」
「あ、ああ。そうだけど。……セイバー遊園地って分かるのか?」
「はい。サクラに聞いたことがあります。大型の遊具が多数あり、大勢で楽しむことのできる施設だと」
 受け応えを続けつつ、まじまじとそれを見つめる。
 興味しんしんという風に目を輝かせているセイバー。そんな彼女の様子に、士郎は、
「……よし!」
 と、決心するように頷き、
「? シロウ───」
「遊園地、一緒に行かないか? セイバー」
 極めて真剣な表情で、セイバーにそう声をかけた。
女の子をデートに誘うという行動には些か硬すぎる面持ちは、しかし彼の決意の表れで、
「良いですね。では皆に声をかけて───」
「いや。俺はセイバーと二人っきりで行きたいんだ」
「え? しかし……」
「セイバーは嫌か? 俺と二人っきりなのは」
「あ……。いえ。そのようなことは」
 先ほどまで悩んでいた案をセイバーに言われかけても、それをきっぱり却下してみせた結果、
「じゃあこのことは二人の秘密ってことで」
「は、はい。そうですね」
上手く彼女をリードして約束を取り付けるのに成功するのだった。
内心でガッツポーズをとりながら、同時に外面では安堵の息を吐く士郎。自覚はあるのか、頬は緩んで自然と笑顔が咲いている。
 半ば彼に押し切られるように返事をしていたセイバーは、そんな士郎の嬉しそうな様子に、
「くすっ。なんだかシロウ子供みたいです」
 苦笑を浮かべながら率直な感想を零した。
「ぬ。それじゃあセイバーは楽しみじゃないのか?」
「いいえ。楽しみですよシロウ。戦いの時とは違い、穏やかな気持ちで共に歩めるというのは……心躍ります」
彼女らしい優美な返答に、士郎は今更ながらに顔を赤くして、
「そ、それじゃあ詳しい話はまた後で! 俺は風呂に入ってくるよ!」
 気恥ずかしさを隠すように、足早に風呂場へと逃げ込んでいった。
「あ、シロウ!」
 そして主の居なくなった部屋。セイバーは持ったままのチケットをもう一度見遣り、
「楽しみです」
 伝え聞いた知識から遊園地を空想して顔を綻ばせた。

 緊張の解けた彼女は終ぞ気が付かなかった。
「……」
 一匹の虎が息を潜め、聞き耳を立てて彼女たちの動向を観察していたことに───。





恋の行方は台風みたく


「と言う訳で! 私達も士郎たちを追って遊園地に行こうと思いますっ!!」
「藤村先生っ。お静かに……!」
「そうよタイガ。二人が起きちゃうわ」
 普段は団欒に色付く衛宮家の居間。だが、今夜ばかりは少々雰囲気が違うようで、
「そ、そうねごめんごめん。せっかく灯りまで消してる意味なくなっちゃうわね」
 騒ぎ声を吼(あ)げた張本人、藤ねえこと藤村大河が「たはは」と頬を掻く仕草も、直傍の人間でなければ見え辛いほどの暗闇がその場を支配していた。
「で、どうかな皆?」
 先ほどの声量を反省したのか、今度は逆にワザとらしいくらいに声を潜めて周囲に問い掛ける。
そんな両極端な彼女に対して、緊急招集をかけられて寄り合った皆は───、
「パスします」
「あ、えと……遠慮させていただきます」
「私は決定権を持ちません」
「わたしもどっちでもいーかなぁ」
 ある者はぴしゃりと、ある者は躊躇いがちに、またある者は興味なさそうに、だいたい異口同音な言葉を返したのであった。
「えええー!? み、皆心配じゃな───」
 目論見が外れたのか、急に身を乗り出して、
「あイタぁッ!?」
 思わず膝を机に打ちつけて蹲る大河。
 涙目を擦る哀れな姿の雌虎に、
「先生。お静かにお願いしますね」
 穂群原の赤き優等生(パーフェクト)、遠坂凛があくまで冷静、ある種冷淡な物腰で声をかける。
「な、何よ遠坂さんっ。士郎のこと気にならないの!?」
 半べそをかきながらぐすりと鼻を啜る大河に、凛はしかし表情を変えず、
「むしろ衛宮くんの朴念仁には飽き飽きしていましたから。たまには彼も男の子らしく羽目を外さないと」
 腕を組みながら自らの発言に満足げに頷いてみせた。
 取り付く島を感じさせない完璧な態度に、大河はぐぬぅ、と恨みがましく唸って、それから、
「さ、桜ちゃんは気になるよね!?」
 この面子の中で最もよく知る仲である、間桐桜に話題を振った。
 しかし、
「あ、その……」
「え、桜……ちゃん……?」
 暗がりの中、戸惑うような口調が篭った後、
「跡をつけるとか、あんまり気が進まないです……」
 いたって普通、というかまともな言葉がシンと静まり返った部屋内に響き渡った。
 あまりの正論に、無意識にサァーと、血の気を引かせた大河は、その場を取り繕うように、今度は桜の隣に立つ艶美な女性、ライダーに声をかけ───、
「ライダーさんは分かって───」
「残念ですが。タイガ」
 ようとして、先んじて断りを入れられてしまった。
「サクラが乗り気ではありませんし、私個人としてもそういった行為は如何がなものかと」
「そ、そうですかゴメンナサイ……」
 良識ある彼女の、お手本とも言うべき回答に、もはや二の句が次げなくなった大河は、
「ううぅぅ……。イリヤちゃーん……」
 藁をも掴む思いで、最後に控えし冬のお嬢様、イリヤに泣き縋る。
「情けないわねぇ。タイガ」
 くず折れた大河の頭をぽんぽんと撫でたイリヤは、そんな風にやれやれと笑って、
「でもダメ」
「なッ!? 今の流れは『ショウガナイナー』ってなるところじゃないのぉ!?」
 笑顔のまま、悪魔の鉄槌を下した。
「だってそうでしょ。こういうこと(・・・・・・)はお兄ちゃん本人から誘ってもらわないと意味ないじゃない」
 続けて発せられた、今日一番の大人な意見に、
「そうよねー」
「ですね」
「ええ。全く」
 うんうんと頷き同意する三人。
 今度こそ完璧に味方が居なくなりワンマンアーミーと化した哀れな虎は、
「う、うううー……!!」
「せ、先生?」
 頭を垂らし、痛々しく喉を唸らせて力尽きた───と思いきや、
「うわあぁぁぁぁんッ! 皆の馬鹿ーッ!!」
 子供のような捨て台詞を吼えて玄関の方へ走り去って行った。
 唐突の閉幕、暫く呆れて呆然とする他の面子たち。
 やがて、口々にもう寝る、と宣言して、そうして皆自らの寝床へと帰って行った。


 ───しかし、彼女たちはその晩、皆一様に中々寝付くことができなかった。
 何かもやもやとしたものが胸に宿り、安眠を妨げる。
そのきっかけは、解散の直前に誰かが呟いた何気ない言葉。

「でも……。羨ましいな……」

 その一言(おもい)は紛れもなく───彼女たちの気持ち(ほんしん)を代弁してくれるものであったからだった。