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あなたのこころをつかむもの

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 ここは京都、東山。日本でも有数の社寺仏閣が集まるこの場所は、休日ともあれば朝早くから大勢の観光客が詰め寄せ、老若男女を問わず様々な世代や国籍の人でごった返す、京都観光の人気スポットの一つだ。
 観光客で賑わいを見せつつも、何処か静謐として古都の歴史を感じさせてくれるこの街を巡るのには、観光雑誌やインターネットの紹介記事が欠かせないところだが、それよりもさらに情緒を堪能できる手段がある。
「あの、そこの君」
 たった今、大勢の観光客と共にバスから降りてきた男性も、その手段を知っている一人のようで、
「はい! 何でしょうか?」
 バス停のすぐ近くに居た、特徴的な法被姿の人物に声を掛けた。
「人力車を一台手配してもらいたいんだけど―――」
 その人物の傍に置かれた、大きな黒い人力車に視線を向けながら言う男性の言葉に、
「あ、すみません。お客様でしたか!」
 声を掛けられた人物は快活に返事をして振り返る。
「―――!」
 ひらりと翻った、黒い長髪の隙間から覗いたのは、その髪の色に勝るとも劣らない鮮やかな黒毛の尻尾。
 男性の正面を捉えた顔には、あどけなさが少し残る、それでいて将来の素養を感じさせる、柔和で朗らかな笑みが浮かんでおり、その頭上には髪色に溶け込むようにマッチした黒い二つの立派な耳が立っていた。
 驚いたような表情で固まったままの男性に対して、その人物―――ウマ娘の少女は、
「あの? どうかしましたか?」
 彼を慮る表情で首を傾げつつ心配そうに声を掛けた。
「え、あ、ああ! ごめんごめん! 女の人なのは分かってたんだけど、まさかウマ娘さんだとは思ってなくてさ」
 そんな彼女の様子に、男性は呆けていた自分を取り繕うように両手を振りながら応え、さらに咳払いを一つ入れて、
「それも、こんな美少女とはね!」
 わざとらしく親指を立てながら、少女の問い掛けに返事をしてみせた。
「び、美少女なんて……!」
 それに対してウマ娘の少女は、思いがけないタイミングで褒められたことに気が動転したのか、今度は彼女の方が手をぶんぶんと振って頬を赤く染めた。
 そうして少しの間、お互いに妙な沈黙が流れるも、
「……その車、もしかして君の?」
 やがて男性が、脇に置かれた人力車を指差して少女に問うた。
「あ、はいっ。そうですよ」
 彼の質問に答えた少女は、梶棒と呼ばれる引手を跨いでその内側に入りつつ、
「では改めてっ。どちらを巡りますか、お客様?」
 彼の方に向き直って、そうにこやかに笑い掛けるのだった。

* * *

 こうして私は、本日最初のお客様を乗せて、約一時間の観光案内の旅に出発した。
 希望の観光スポットがあるのか尋ねたところ、
「特にないんだ。昼過ぎに仕事があるんだけど、それまでの時間潰しでね」
 スーツ姿だったお客様は、上着を脱いで片腕に掛けながらそう応えてくれた。
 人力車を引きながら、後ろのお客様に話し掛ける。
「京都は初めてですか?」
「何度か仕事で来たことはあるけど、こうして観光するのは初めてかな」
「そうですか! じゃあ良い思い出になるように精一杯案内させて頂きますね!」
 男性の回答に私は一層気を引き締めつつ、今日の観光案内のプランを頭の中で練り始める。と言っても、回遊するコースは決まっているから、各地でどんな解説をするのか、その内容を検討することになるけれど。
「何だか嬉しそうだね」
「え?」
 後方から言葉を掛けられ、少し車を押す速度を緩める。
「鼻歌でも歌い出しそうなくらいだったよ」
「あはは、お恥ずかしいです」
 お客様のその指摘に、私は少し顔に熱を持ったことを自覚しながら、
「私、この街が大好きで、これからお客様がこの街を好きになるお手伝いが出来るんだなって思うと、ついいつも嬉しくなっちゃって」
 よくお客様方に言われる、普段の接客の様子を告白した。
 丁度交差点の赤信号を目の前にして停車し、お客様の方に振り返る。すると、何だかお客様も嬉しそうな顔で、
「良いね。その気持ち、俺も分かるよ」
 うんうんと頷きながら腕組みをしていた。
「何かそういう経験がおありですか?」
 そんな彼の表情が気になり、私が問うと、
「昔、旅行好きが高じて旅行代理店で勤めていた経験があってね。君と同じように、色んな人に色んな場所を好きになって貰える手伝いをしていたんだ」
 お客様はニッと私に笑顔を向けて応えてくれた。
「わっ! そうなんですか!」
 その回答に驚いて、思わず声を上げた私に、
「そう。だから今日は君の案内、楽しみにしてるよ」
 彼は少し挑発的な笑みを携えて、でも本当に楽しそうな声色で私に発破を掛けてきた。
 そんな煽り上手なお客様に、私はさらにやる気を募らせて、
「分かりました! 精一杯この街の魅力をお伝えしますね!」
 片手でぐっと握りこぶしを作って、それから引手を固く持ちなした。
丁度信号が青くなったことを確認して、左右を確かめてゆっくりと歩き出す。
 これから向かうお寺について、まずはどの切り口で話を始めようか、うずうずする気持ちの整理を何とかつけながら、少しずつ足取りを速めていった。


* * *

「いやー、楽しかったよ! 流石、めちゃくちゃ詳しいね」
 一時間の案内が終わり、最初にお客様と会ったバス停まで戻ってきた私に、彼はこちらに料金のお札を差し出しながら笑いかけてくれた。
 嬉しい気持ちと達成感を得ながら、ありがとうございます、とそれを受け取ると、
「ただの解説だけじゃなくて、君がこの街が好きっていうのが本当に伝わってきたよ。なんて言うか―――」
 お客様は大袈裟に顎を撫でるジェスチャーをしながら、
「そう、まさにこの街は君の庭、って感じだね!」
 さらにポンッと柏手を打ってみせたのだった。
 そこまでのお褒めの言葉を頂いてしまった私は、何だか恐縮な気持ちになって、
「い、いえ! 私の方こそ楽しかったです!」
 自然に深々とお辞儀を返していた。
 そんな私の様子に、お客様は、いいえ、こちらこそ、と爽やかに受け応えをした後、
「今日はありがとう。本当に楽しかったよ」
 丁度到着したバスのステップに足を掛けながら、わざわざ振り返ってこちらに挨拶をしてくれた。
「はい! また来てください!」
 私はそれに返礼しながら、もう一度頭を下げる。
「それじゃあね。美少女のウマ娘さん」
 彼のその別れの言葉と同時に扉を閉めたバスが走り出したのを見送って、ふう、と一仕事を終えた安堵感に息を吐いた。
「んしょっと……」
 腕を上げて背筋を伸ばし、軽くストレッチをし始めると、
「あのー、すみませーん!」
 少し遠くから声を掛けられて、
「はーい! 何でしょうかー!」
 そちらの方に振り返って手を振った。
「え? ウマ娘?」
「わぁっ! えっと、貴方が車夫なの?」
 近づいてきた二人組の女性に、
「はい! 私がご案内しますよっ」
 笑顔を向けて応えると、
「凄ーい! ウマ娘に人力車引いて貰えるんだって!」
「ねぇ、もしかして凄く速かったり、遠くまで回って貰えたりするの!?」
 ずいっとこちらに寄ってきた女性たちは、興奮気味に質問を投げかけてきた。
「いえいえ、サービスの内容は何も変わりませんっ。ですが、精一杯この街の魅力を案内させて頂きます!」
 私はそんな彼女たちを宥める様に手を広げつつ、よくお客様に聞かれる問いに対して予め用意のしている回答を口にした。
「そうなんだー。でも可愛い子だし」
「そうね。男の人よりこっちも気が楽かも」
 私の答えに、一瞬はがっかりしたようなところを見せた女性たちは、けれどすぐに意見を合わせて、
「じゃあ貴方にお願いっ!」
「よろしくねー」
 こちらに一礼をしてくれた。
「はい! よろしくお願いします!」
 私はこちらこそ、と礼を返して、希望のコースを確認し、それから彼女たちを座席に案内する。
 二人が正しく座ったことを確認した後、では、と声を掛けてから正面に向き直った。
 先ほど見送ったバスの姿はもう見えなかったけれど、ふと、思い出す。
 そういえばあのお客様とは、よくあるこのやり取りをしなかったな、と。
「どうしたの?」
「あ、いえ、すみません。では、出発します」
 後ろから掛けられた声に、はっ、と我に返った私は、改めて正面の安全をチェックしてから、さあ、と気合を入れ直して本日二組目のお客様の案内に走り始めた。


* * *

 清々しく晴れた青空を仰ぐように、
「ううーん……」
 背を伸ばしながら顔を上げた私。
 少しだけ身体に残った前日の疲労を、ふっと、吐き出して両手を広げて胸を張る。肩甲骨辺りが良い感じに伸びていく気持ち良さに、つい往来であることも忘れて唸ってしまう。
 昨日は忙しかったな、とか、今日も頑張ろうとか、明日のお休みは何をしようとか、取り留めのないことをぼんやり考えながら顔を上げたまま目を瞑っていると、
「―――ねえ」
「ひゃいっ!?」
 唐突に、正面というか足元から声を掛けられて思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
 驚いて一歩飛び退いてしまった私が、ぱっと目を見開くと、そこには、
「何?」
 一人の、ウマ娘の少女が立っていた。
 少し背が高めの私から見ても小柄な体躯に、全体的に線の細さを感じさせる容姿。
 年下なのかな、と思わせる背格好だけど―――、
「―――」
 肩に掛かるセミロングの栗色の髪と、私よりもずっと大人びた印象に映る佇まいからは、何か目が離せなくなるような雰囲気が感じられて、
「ねえってば」
「あっ! は、はい!?」
 もう一度声を掛けられるまで、私は我知らず彼女をずっと見詰めてしまっていた。
「な、何でしょうか?」
 思わずいつも以上に畏まった口調で目の前の少女に問い掛けた私に、
「観光案内の一時間コース、一名で」
 彼女はあくまで端的にそう答えてきた。

* * *

「京都は初めてですか?」
「うん」
「そ、そうですかっ。それじゃあ、より丁寧にご説明させて頂きますね!」
「うん」
「じゃ、じゃあまずこの辺りの土地の歴史的な成り立ちから―――」
 慣れた道を走りながら、でも全く慣れない状況に内心困惑しつつも、今通っている道に纏わる歴史の蘊蓄を披露していく。
 私の解説に、後ろに座る栗毛の少女は、クールな面持ちを崩さないまま相槌だけを返してくる。
 最も、不愛想という訳ではなく、私の問いには答えてくれるし、
「あれは何?」
「あ、あれはですね―――」
 時折向こうから質問してくれることもあり、会話のキャッチボールはそれなりに行えている―――にも関わらず私の心が落ち着かない原因は、少なくとも私と同年代の少女、
 それもウマ娘の少女が一人で人力車に乗っている、という私にとって初めての体験のせいだと思われる。
 赤信号が見えて、一旦制止。
はぁ、と息を吐いた私に、
「疲れてる?」
 後方に鎮座する彼女は、ふと私に問い掛けてきた。
 ここまでは観光への質問しかしてこなかった彼女から投げ掛けられた不意の一言に、
「い、いえ全然!」
 私は驚いて振り返りつつ、慌ててそう答えた。
「……そう? なら良いけど」
 振り返った私を彼女の瞳が捉える。不思議と吸い込まれそうになる、奇麗な薄黒の瞳。
 私は思わずそれから逃れるように視線を外してしまった。
 暫く会話が止まり、道路を横切る車たちの走行音だけが二人の間を行き来する。
「―――あ、あの!」
 このままでは良くない。せめて会話にきっかけになればと、私は意を決して、抱いていた疑問を彼女にぶつけてみることにした。
「その、今日はどうして観光に?」
 一人の車夫として、そして恐らく彼女と同年代のウマ娘として、どうしても気にせずにはいられなかったその疑問に、
「あ、青」
「え?」
 彼女はそれに答える前に、少し遠くの信号機を指差して短くそう言った。
「あ、ああっ! すみません!」
 その方を確認した私は急いで、だけどより慎重に周りを確かめてすぐに走り出した。
「ご、ごめんなさい! 変なことを聞いて、集中してなくて!」
 速度を上げながら背後の少女に謝りの声を掛けると、
「ううん。気にしないで」
 さっきまでより、少し柔らかに感じられる声色で、彼女は私を慰めてくれた。
 少女のそんな気遣いに、私は一層に己の失敗を恥じてしまう。
 そうしてまた、会話がなくなりかけたその時、
「昨日勝ったから」
 不意に、彼女の方から言葉を掛けられた。
「―――え?」
 私はそれが、さっきの私の質問への回答だと気づくのに少し時間が掛かってしまい、
「昨日のレースのご褒美だって」
 さらに彼女の口から告げられた二の句と併せて、ようやくその意味を理解した。
 ―――なるほど。彼女はトゥインクルシリーズの選手なのか。
 ウマ娘の少女が京都に居て観光をしていた訳、それがすとんと腑に落ちてすっきりとした感情よりも先に、
「凄い! おめでとうございます!」
「うわっと……!」
「あ、ごめんなさい!」
 彼女がレースに出ていて、勝っていたんだという何だか嬉しい気持ちが先走ってしまい、思わず軽く跳ねてしまった。
 車を揺らしてしまったことを彼女に謝りながら、私はもう一度気を引き締め直すつもりで、ぎゅっと引手を強く握った。
 するとその時、
「ねぇ」
 今度は彼女の方から私に質問が飛んできた。
「私からも、いい?」
 少女は一つ確認の言葉を挟む。
「はい、どうぞっ」
 質問を促すように私が頷くと、彼女は、ん、と小さく漏らした後、
「貴方は、どうしてこの仕事をしてるの?」
 そんな問いを私に投げ掛けてきた。
 緩いカーブを丁寧に曲がりながら、私はその問いに応える。
「私、両親が居ないんです」
「―――!」
 背後の座席が小さく揺れるのを感じ取る。
 ―――普段同じ質問をされても、敢えて伏せる内容を口火に選んでしまったのは、自分でも分からない。
 だけど、何故か彼女には知って欲しいと思ってしまった。
「私が生まれてすぐの頃に、事故で亡くなってしまって、物心つく前から親方さんに、あ、親方さんっていうのはうちの人力車の会社の社長さんなんですけど、その人にこの街で育ててもらっていて」
 カーブを曲がり切って、目的地にしていたお寺が近い位置に見えてきた。
「……恩返しってこと?」
 少女からの、追加の質問。
 私は彼女にも見えるように、少し大げさに首を横に振ってそれに答える。
「親方さんと社員さんによくしてもらって、皆の働いている姿を間近で見ていて、思ったんです。皆、この街が大好きで、それを一人でも多くのお客様に知ってもらおうとしている姿が素敵だなって。
 それでいつの間にか、私もこの引手を握っていました」
「―――そう」
「はい! そうなんです!」
 少女の呟きとも思える相槌に、私は明るい声で応える。
「そろそろ着きますので降りる準備をお願いします!」
 眼前に迫る目的地を視認して、私は後方に声を掛けた。
 停車できそうな場所を探しているうちに、
「―――分かった。このお寺の見どころはどこ?」
 彼女の方からそう尋ねられて、
「あ、それはですね―――」
 私は見出した場所に車を停めた後、内ポケットに納めた写真付きの簡易観光ガイドを取り出して広げる。
「この仏様なんですが、注目して貰いたいところが―――」
「へぇ。どこ?」
 既に他の観光客で賑わいを見せるお寺の外、席から降りてきた彼女が覗き込んできたガイドの写真を指差しながら、私は素早く丁寧に、この場所の魅力を彼女に力説していくのだった。

* * *

「以上で案内終了です。お疲れ様でした」
「うん」
 ぐるりと一周一時間の観光案内を終えて、スタート地点だったバス停前まで戻ってきた私は車を停めて、席から降りようとしている少女に手を差し伸べた。
 私の手を取った彼女はゆっくりと席を降り、歩道へと足を下ろす。
 そのまま静かに料金の支払いを準備し始めた彼女の姿に、私は正直なところ、ドキドキした気持ちを抑えきれないでいた。
 お客様からの感想は、料金を受け取るときに告げられることが多い。後半こそ案内をし始めた時のような緊張感なく話をすることができたけれど、
 前半のぎこちなさは確実に相手に伝わってしまっただろうし、何より―――話す必要のない身の上話までしてしまって、きっと純粋に観光を楽しみたい気持ちに冷や水を浴びせてしまった。
「ねえ」
「は、はい!?」
 思わず考え込んでしまっていた私は、いつの間にか目の前でこちらを見上げていた彼女に気づかずに、急に呼び掛けられて驚きの声を上げてしまった。
 最後の最後で、案内を始める前と同じ失敗を繰り返してしまったことに猛省しながら、何とか落ち込んだ様子を表情に出さないように努めて、
「お代ですね。ありがとうございます」
 差し出されたお札を受け取った。
 その瞬間―――、
「楽しかった」
「え?」
 彼女から、声が掛けられた。
「楽しかった。ありがとう」
 もう一度言われたその言葉に、私は一瞬我を忘れて呆けてしまい、
「あ、その、こちらこそ。ありがとうございました……」
 それから失礼にも気のない返事をしてしまっていた。
「本当に、疲れてない?」
「い、いえ、大丈夫です!」
 私を二度気遣ってきてくれたその台詞に、ようやく気を取り直して、大仰に返事をした私に、彼女は不思議そうに小さく首を傾げてみせる。
「なら良いけど」
 一度目のやり取りと同じように相槌を返す彼女に、またしても反省点が一つ増えてしまったことを後悔する私。
 せめてお見送りくらいはしっかりしないとと、
「あ、あの―――」
 彼女に声を掛けようとして、
「この街、まるで貴方の庭みたいね」
「え?」
 先に向こうから話を振られて、思わず言葉を切ってしまった。
 全くの偶然か、昨日にも頂いていたそんな感想に、
「あ、ありがとうございます……」
 驚きを隠し切れずに、昨日とは違う恐縮を感じつつ何とかお礼を告げた。
「バスが来た。私、行くから」
 そうして私が狼狽え続けている間に―――いつの間にか観光バスがすぐ近くまでやってきてしまっていた。
 彼女の呼び掛けに、それに気づかされた私は、
「あ、あのっ!」
 自分でもびっくりしてしまうくらい大きな声で、つい彼女を呼び止めてしまっていた。
「何?」
 短く聞いてくる彼女。
 私は纏まらない感情のまま、何かに突き動かされるように言葉を発した。
「また……来てくれますか?」
 何を言っているんだろう私、という冷静な自分が急に現れて、すぐに今の言葉を取り消したくて慌てふためく。
「あああ、あの! いえ、今のは……!」
「?」
 バスの到着音にかき消されたのか、私の取り繕う声は届かなかったらしく、彼女は不思議そうにこちらを見詰め返してくる。
 いよいよどうしたものか、混乱の渦中で立ち尽くす私に、
「レーゼ」
「え?」
 彼女が、小さく笑って言った。
「エルスレーゼ。私の名前。貴方は?」
 バスの扉が開く。
「―――ミヤビ! コトヤミヤビです!」
 私は、今度は自覚して大きな声で彼女を送り出す。
「そう。またね、ミヤビ」
 バスのステップを登る彼女―――レーゼちゃんの小さな背中が扉で見えなくなるまで、
「うんっ。またね!」
 私はずっと手を振り続けていた。