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タガタメ
back仰ぐ空には満天の星々と、煌々たる白月。
こんなに輝かしい夜空を見たのは果たしていつ以来か。
感嘆を抱きながら、しかし私は同時に残念に思う。ああ、この美しい夜空が夢でなかったら、と。
私を見下ろす星々が、月が私に訴えかけるのだ───これは、夢なのだという事を。ここに在る星々は私に時を知らせてはくれないし、月は私の居場所を示さない。
だから、これは夢なのだ。
何故だか感じてしまった悲しみを胸に留め、視線を正面に戻す。桜吹雪が舞い散るその先に、見知らぬはずの少女が笑っていた。彼女の口が動く。
「───」
彼女の言葉は夜空に溶け、私の耳には届かなかった。
そうして振り返り、私に背を向けて歩き出す少女。その目元に光る物を見取った瞬間、私は、
「待って!!」
そこで目が覚めてしまったのだった。
「全く……。折角の入学式の日になんておかしな夢を見るのかしら? 私ってば」
そんな自分の図太い所に内心呆れつつ、私は顔を洗おうと洗面所に向かった。鏡の前にはまだ少し眠たそうな自分の顔と、
「うわ、これはひどいわね……」
寝相が悪かったのか、ぼさぼさにはねてしまっている髪が映っていた。慌てて直しにかかり、次いで顔を洗う。冷たい水のおかげではっきりと意識が覚醒し始めた。
「それにしても……さっきの夢はどんな内容だったかしら? もう思い出せないわ」
備え付けのタオルで顔を拭きながら、私は今しがた見ていたはずの夢について思索する。
だが、思い出せるのは星月輝く夜空と、それから……駄目だ。他の事は目覚めた意識とは反対に、霧がかかったようにおぼろげではっきりとしない。
もちろん私は、夢とは往々にしてそういう風にすぐに忘れてしまう物である事を知っている。だけど、
「何か、大切な事を忘れているような……」
そう呟いた目の前には、まるで鏡を通して私に問いかけるように、虚像の自分が私をじっと見つめていた。
そしてふと気づく。鏡の端、小さく逆さに映るデジタル時計の文字盤が、
「って! やばい遅刻だわッ!?」
式典開始にギリギリ間に合うかという位に切羽詰った時刻を示している事態に。
そうして私は身支度もほどほどに、入学式に参加する為に泊まっていたこのホテルを飛び出して行ったのだった。