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宴に巡りて

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「んーっ。今日も良いお天気ですね」
 温かで柔らかい日差しを背に受けて、私は立ち止まって大きく伸びをした。
普段の私ならば、里の住人が行き交うこの往来でこんなはしたない真似はしないのだが……今、里中に蔓延している独特の高揚感に、どうやら私も当てられてしまっているみたいだ。
 いつも賑やかで騒がしいこの人間の里は、しかして今日は一層の活気に満ち溢れていた。
 道端の商店は人気でごった返し、大きな荷袋を抱えた人たちが浮かれ気味にそれぞれの家路へと足を急がせている。その中には、普段の里では余り見ないような高価な食材や、派手な色合いの装飾品などを抱えている人たちも居て───、
「皆、楽しみにしているんですね」
 そんな彼らを見送った私は、ふと何気なく視線を上空に移した。
 空はどこまでも澄み切って青く、ここ最近を振り返ってみても、明日の天候の心配をする必要は全くなさそうだ。
 と、そんな風に空に思いを馳せていた私の様子が気になったのか、
「おっ。天気が気になりますかい?」
 馴染みの店の主が声を掛けてきた。
 私は軽く会釈を返して、
「ええ。去年はそれほど良い天気ではありませんでしたからね」
 記憶を辿って彼の質問に答える。
「あー、そうでしたっけ?」
 指を額に当て、眉を顰めて考え込むように返事をしてみせたその人に、私は、
「ええ。そうですよ」
 頬を緩ませつつ、相槌を打つ。
 彼もまた納得したのか難しい顔を止めて、
「ま、貴方様がそう仰るなら、そうに違えねぇんでしょうな」
 そう言って豪快に笑った後、
「しかし、それじゃあますます楽しみですなぁ」
 ここではない、どこか遠くを見るように目を細めた。
「はい。楽しみですね」
 彼の言葉に同意した私もその姿を真似て、里の外、東の方を見遣る。
 そうして、
「本当に、楽しみですね」
 その視線の先に思い起こされた、例年の華やかな情景を幻視して───、
「明日の、例大祭」
 つい期待にはやりそうになった鼓動を落ち着けるようと、一つ小さく息を吐いたのだった。

* * *


 店主と別れた私は、祭りの準備に沸く里をさらに見て回ろうと、特別目的地も決めずに気の向くままに歩みを進めていた。
 ───そんな私に掛けられる声が一つ。
「あっ! 稗田様!」
 少し遠くの方から私の名前を呼んだその声の主は、
「こんにちは稗田様。お買い物ですか?」
 両脇に重そうな荷物を抱えたまま、だけどそんな素振りは見せずに爽やかな笑顔をこちらに向けたまま近づいてきた。
 彼女の大量の荷物が気になった私は、
「こんにちは早苗さん。その荷物は一体……?」
 挨拶に続けて、それを指差して問い掛ける。
「はい、これはですね」
 私の質問に微笑みを返した山の神社の巫女───正確には風祝というらしい───は、抱えていた荷物を一度地面に置いて、その中身を私に見せてくれた。
「凄い。食材が一杯ですね」
 目の前に広がったのは数々の食材。
珍しいものから普段の食生活に欠かせないものまで、ありとあらゆる素材が袋の中に所狭しと詰め込まれていた。
 そこでふと、それらの中に共通項を見出した私は、
「あれ? でもこれって……」
 顔を上げ、彼女の方に向き直る。
 今度は少し困ったような苦笑を浮かべていた彼女は、
「ええそうなんです。お酒の肴にする食材ばかりなんです」
 溜息混じりに、私が見取ったそれを口にした。
 そうして、
「実は───」
 彼女はそんな風に前置きを一つ入れて、
「明日の例大祭中の宴会、私どもも料理を作ることになってしまいまして」
 大荷物の経緯を説明し始めた。

「今回の例大祭、何でも人妖問わずの大宴会を開くそうで、それぞれの地域や陣営で、料理の持ち寄りを強制されているんですよ」
 歩きながらそう話す早苗さんの隣で、私は先日自宅に届いた一束の新聞のことを思い返す。
「そういえば……確か天狗の新聞にそんな事が書いてありました」
 『号外! 宴会のお知らせ!』なんて、もはや新聞なのかが疑わしく思えてしまうタイトルだったその記事の内容を記憶から引き出して、
「確か、発案は博麗の巫女でしたね」
 この件の首謀者を指摘した私に、
「そう! そうなんです!」
 ずずい、と私に顔を寄せて反応する守矢の巫女。
「ええと……早苗さん?」
 急に詰め寄られ、若干引き気味に返答した私の様子に、
「あっ! すみません、つい興奮して」
 彼女も気が付いたのか、すぐに体を離して恥ずかしそうに頬を染めてそう謝ってきた。
 それから、空気を取り繕うようにして、
「ああ、別に料理を持っていくのは良いんですよ?」
 そう言った後、
「けど……」
「けど?」
「如何せん要求された量が多くて……」
 また一つ、小さく溜息を零してみせた。
「あはは……それは大変そうですね」
 私はなんとなく、博麗の巫女に大量の下拵えを強要される彼女の姿を想像して、同情の念を持ってその愚痴に答える。
 一方の彼女は、そんな私の言葉に「そうなんですよー」と再び苦笑してみせた。
 ───そうして、二人の間を流れる暫くの沈黙。
「あっ。ところで……」
 それを破ってきたのは彼女の方だった。
「稗田様は宴会って参加されるんですか?」
 その問いに……私は少しだけ迷って、でもやっぱりこう答える。
「あまり参加する気はありませんね。ああいう場は不慣れなので」
「そうでしたか……。何か、すみません」
 気を使ってくれたのか、伏し目がちに謝ってきた彼女に、
「いえ、お気になさらず」
 こちらも小さく頭を下げて返す。
「……」
「……」
 再び訪れそうになる沈黙をどうしたものかと考え始めた矢先、
「……でも、少し残念です」
「え?」
 彼女は、私にとって少々意外な言葉をポツリと漏らした。
「残念、とは?」
 そう聞き返した私に、
「稗田様とお近づきになれる良い機会だったのかなと思いまして。私も実はそんなにお酒の席が得意な方ではありませんから」
 彼女はそんな風に答え、続けて、
「よく神奈子様や諏訪子様にからかわれるんです。『そんなんで幻想郷でやっていけるかー?』って」
少し照れ臭そうに笑った。
 私もその笑顔と言に釣られてクスっと笑ってしまい、
「まあここの人たちはよく飲みますからね」
 ちょっと軽口を叩いて彼女に応え返す。
 それから、
「でも何か、今の話を聞く限り貴方のところの神様は随分フランクな方々みたいですね」
 湧き上がった好奇心を会話に混ぜてみることにした。
「そういえば稗田様は、まだお二人とお会いしたことは……」
「ええ。無いのですよ。そもそも残念ながら守矢神社に伺った経験が無くて。幻想郷縁起のこともありますし、一度お話させて頂きたいものですが」
 話しをしながら私は、今は自室に保管してある幻想郷縁起のことを考える。
 一度目の編纂以降も、この幻想郷には幾つかの異変と新しい出会いがあって───そろそろ二度目の編纂を行う時期に差し掛かってきているのかもしれないと、そう感じる。
 そんな思考に没頭しかけていた私の耳に、
「そうだっ。稗田様」
早苗さんの元気の良い呼び掛けが届いて、
「あ、すみません。何で───」
 慌てて聞き返したその台詞に半ば被さる形で、
「だったら───今から来ませんか?」
 神社へのお誘いの言葉が掛けられた。
 勿論、そんなつもりでさっきの話をした訳ではなかった私は、
「え? 今からですか?」
 思わず驚きの声を上げて、彼女に問い返してしまう。
「ええ。せっかくの機会ですし、稗田様のご都合がよければ、是非」
 そう言って笑顔で私に答えた彼女は、そして、
「どうでしょう?」
とこちらの返事を待つように首を傾げた。
「……ええ、と」
 突然降って沸いた機会に些か以上に動揺した私は、しかし少しだけ思考を巡らせた後に、
「では、お言葉に甘えさせて頂きます」
 このお誘いを受けてみることに決めて、それを伝えた。
「そうですか! それは良かった!」
 私の回答を聞いた彼女は弾けるような笑みをみせて、
「それじゃあ、残りの買い物だけすぐに済ませてくるんでここで待っててくださいね!」
「あっ! 早苗さ───て、もう行っちゃった……」
 すぐさま勢いよく駆け出していってしまった。
 その場に取り残された格好になった私は、
「……ま、いっか。待っておくとしましょう」
 なんとなく簡素に結論付けて、近くにあった茶店の軒先の椅子に腰を下ろした。
 一人になり、落ち着いて街並みを眺めると、やっぱりいつもの里の雰囲気とはどこか違っていて───普段なら先刻のような急な提案に二の足を踏んでしまう私がそれを受け入れられたのも───、
「きっと、この空気感のせいなんでしょうね」
 そんな独り言で思索をまとめて、とりあえず彼女の買い物が終わるのを待つことにしたのだった。